共同研究先や企業に症例を提供するとき、要らない氏名・生年月日を削る
先に結論
医療機関が、以前治療した患者の臨床症例を、ほかの医療機関の研究や製薬企業の研究のために提供することがあります。このとき、提供する情報をどこまで絞るかについて、個人情報保護委員会の Q&A(7-24・7-25)は次のように書いています。
「当該医療機関等が提供する個人データは、利用目的の達成に照らして真に必要な範囲に限定することが必要です。具体的には、利用目的の達成には不要と考えられる氏名、生年月日等の情報は削除又は置換した上で、必要最小限の情報提供とすることなどが考えられます。」
- 基準は利用目的:消す項目は、研究の目的に照らして「要らない」ものです。氏名・生年月日は Q&A が挙げる例で、「等」と続いています
- 削除か置換か:消すだけでなく、別の記号や番号に置き換える方法も挙がっています。置き換えたときにできる対応表の扱いも決めておきます
- PDF の写しは中身まで消す:黒い四角を重ねただけでは、下の文字がファイルに残ります
このページは、症例を出す場面を支えるための整理です。提供してよいか、同意の手続きがどうなるかは、研究計画と倫理審査委員会、施設の担当部署の判断によります。個別の判断は、個人情報保護委員会のガイドラインや専門家に確認してください。カルテ開示や外部からの照会への回答は カルテ開示で伏せる部分・絞る部分 にまとめています。
個人情報保護委員会の Q&A が書いていること
2 つの場面:他の医療機関へ、製薬企業へ
Q&A 7-24 は、以前治療した患者の臨床症例を、症例研究のために他の医療機関へ提供する場面です。7-25 は、疾病メカニズムの解明を目的とした研究のために製薬企業へ提供する場面です。どちらも、本人の転居などで連絡先が分からず、同意を得るのが難しい場合を問うています。
答えの出発点は、個人情報保護法 第 27 条第 1 項第 3 号です。条文は、本人の同意なしに個人データを第三者に提供できる場合の 1 つとして、「公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。」を挙げています。Q&A は、こうした研究への症例の提供が公衆衛生の向上に特に資するものと考えられること、連絡先が分からない場合などは「本人の同意を得ることが困難であるとき」に当たるものと考えられることを説明し、この号によって提供することが許容されると考えられる、としています。
「特に必要がある場合」だから、出す範囲を絞る
そのうえで Q&A は、この号で提供できるのは「特に必要がある場合」とされていることからも、提供する個人データは必要な範囲に限る、と続けます。冒頭に引いた「不要と考えられる氏名、生年月日等の情報は削除又は置換」は、この流れの中の一文です。
受け取る側についても書いています。7-24 は「当該他の医療機関等においては、提供を受けた際に特定された利用目的の範囲内で個人データを取り扱う必要があり」、研究の目的の達成に必要な範囲を超えて取り扱うことは原則できない、としています。7-25 も製薬企業について同じ趣旨です。
さらに、提供元と提供先の両方に、倫理審査委員会の関与、研究対象者が拒否できる機会の保障、研究結果の公表などを定めた医学系研究の指針や、関係法令の遵守が求められていることにも留意が必要だ、と結んでいます。7-24 の Q&A は、「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針 ガイダンス」にもそのまま引かれています。
「要らない」は利用目的から決める
項目の一覧は、Q&A には無い
Q&A が名前を挙げているのは「氏名、生年月日等」までです。何が「不要」かは、その研究の利用目的から決まります。目的に照らして要らない情報は、氏名・生年月日に限らず、渡す前に外す対象になります。
受け渡す項目は研究計画で決めておき、提供先とも同じ一覧を共有しておくと、1 件ずつ迷わずに済みます。
症例の写しで氏名・生年月日が載っている場所
表のデータ(CSV など)で受け渡すなら、要らない列を最初から書き出さなければ済みます。迷いやすいのは、紹介状・検査報告書・画像のレポートなど、書類の写しそのものを渡す場合です。氏名や生年月日は、本文より次の場所に残りがちです。
- 各ページのヘッダー・フッター:システムから印刷した書類は、ページごとに患者の氏名や ID が入っていることがあります
- 検査画像の画面の写し:画面の隅に、患者 ID や氏名が文字として写り込んでいることがあります
- 病理の写真のラベル:標本のラベルに番号や名前が書かれていることがあります
- 宛名と署名:紹介状の宛名、紹介元の医師名や施設名。要るかどうかは目的次第です
学会の指針が挙げる項目(入院番号・他院の名前・画像に含まれる番号など)は、症例報告・学会発表の前に消す患者の情報 にまとめています。
削除と置換、対応表の扱い
置換は、研究用の番号に置き換えること
Q&A は「削除又は置換」と書いています。置換は、たとえば氏名を研究用の番号に置き換えることです。症例ごとの番号があれば、提供先と問い合わせをやり取りするときに、どの症例の話かを取り違えずに済みます。
対応表の扱いを決めておく
置き換えると、元の氏名と番号を結ぶ対応表ができます。倫理指針のガイダンスは、個人情報保護法の「削除情報等」の説明として、「『削除情報等』には、研究対象者の氏名等を仮IDに置き換えた場合における氏名と仮IDの対応表等が含まれる。」と書いています。対応表を誰がどこで持つか、提供先に渡すかどうかは、研究計画と施設の規程に従って決めてください。
消しても「匿名加工情報」になるとは限らない
氏名や生年月日を消したり置き換えたりしても、個人情報保護法でいう「匿名加工情報」になるとは限りません。医療・介護関係事業者ガイダンス(個人情報保護委員会・厚生労働省)は、「匿名加工情報を作成するため、個人情報から、当該情報に含まれる氏名、生年月日、住所等の、特定の個人を識別する情報を取り除く場合や、顔写真について、一定のマスキングを行って特定の個人を識別できないよう加工する場合でも、当該個人情報を規則で定める基準に従って加工しておらず、当該個人情報を復元することができる場合には、匿名加工情報に該当しないため、注意が必要である。」と書いています。
Q&A 7-24・7-25 が書いているのは、第 27 条第 1 項第 3 号で個人データを提供するときに、範囲を必要最小限にすることです。Q&A も、提供先が受け取ったものを「提供を受けた個人データ」として扱う前提で書いています。
症例の写しを PDF で渡すときの失敗
黒い四角を重ねただけでは、下の文字が残る
システムから書き出した PDF には、見えている文字と同じ文字の情報(文字の層)が入っていることがあります。注釈や図形で黒い四角を重ねただけだと、下の文字はファイルの中に残っています。文字を選んでコピーしたり、検索したりすると、消したはずの氏名や生年月日が出てきます。
紙に印刷して塗り、スキャンし直す場合は、塗りが薄いと下の文字が透けることがあります。画面で消すなら、下の文字ごと消す(焼き込み)方式を使います。やり方は PDF を黒塗り(墨消し)する正しい方法 に、失敗の型は 黒塗りが「見える」「剥がせる」原因と、渡す前の確かめ方 にまとめています。
渡す前に、自分で確かめる
渡す前に、消した場所の文字を選んでコピーできないか、氏名で検索して見つからないか、文書のプロパティ(作成者・タイトル)に名前が無いかを試します。手で確かめきれないときは、剥がしテスト(無料)で、黒い四角の下に文字が残っていないか、見えない文字や注釈・添付ファイル・文書情報が残っていないかを調べられます。
Fuseji で消す場合
Fuseji(伏字)は、日本語の PDF と画像(PNG・JPEG・HEIC)から、氏名・住所・生年月日・電話番号や、「患者ID」「カルテ番号」の後ろの番号、「〇〇病院」のような医療機関の名前などを候補として示し、選んだ部分を下の文字ごと焼き込むアプリです。黒塗りのほか、【氏名1】のように種類と番号に置き換える消し方も選べます。患者 ID は標本や検査の番号とは別の種類なので、照合のために残すといった選び方を種類ごとにできます。
検出は「候補の提示」で、漏れがないことを保証するものではありません。何を残し何を消すかは施設が決めることで、最終的な確認は画面で行ってください。
これから変わること:改正法と倫理指針
個人情報保護法の改正(令和 8 年 7 月 17 日公布)
個人情報保護委員会によると、「個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法律」が令和 8 年 7 月 17 日に公布されました。委員会の概要の資料は、公衆衛生の向上などのために取り扱う場合の同意の要件について、「本人の同意を得ることが困難であるとき」のみならず、「その他本人の同意を得ないことについて相当の理由…があるとき」も本人からの同意取得を不要とする、と説明しています。
その「相当の理由」の想定として、資料は「本人のプライバシー等の侵害を防止するために必要かつ適切な措置(氏名等の削除、提供先との守秘義務契約の締結等)が講じられているため、当該本人の権利利益が不当に侵害されるおそれがない場合等を想定。」と書いています。氏名などを削る措置が、ここでも例に挙がっています。同じ資料は、「『学術研究機関等』に、医療の提供を目的とする機関又は団体が含まれることを明示する。」とも書いています。
ただし、これは施行前の話です。施行期日は「原則として公布の日から起算して2年を超えない範囲内」とされ、具体的な事例は「ガイドライン等において明確化することを想定。」とあります。委員会のページも「円滑な施行に向け、引き続き、政令、規則、ガイドライン等の検討を行ってまいります。」としています。今の提供は今の法律と Q&A に沿って判断し、施行の日と新しいガイドラインは委員会のページで確かめてください。
倫理指針の改正(令和 8 年 12 月 1 日施行)
「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」も改正されています。施行の通知は「令和8年8月 27 日に改正指針を告示するとともに、同年 12 月1日から施行することとした。」と書き、ガイダンスについては「今後、ガイダンスを改訂し、3省のホームページに掲載する」としています。このページで引いたガイダンスは令和 6 年 4 月 1 日の版です。研究の手続きは、改訂後のガイダンスで確かめてください。
渡す前の手順
- 提供の根拠と手続きを確かめる:同意の有無、第 27 条のどの号によるか、倫理審査の状況を、研究計画と施設の担当部署で確かめる
- 受け渡す項目を決める:利用目的に照らして要る項目だけを一覧にし、提供先と共有する。氏名・生年月日のほか、ID・住所・他院の名前なども要るかどうかを見る
- 削除か置換かを決める:置き換えるなら研究用の番号を振り、対応表の管理の仕方を決める
- 表のデータは、要らない列を書き出さない:あとから消すより、最初から出さない
- 書類の写しは、ヘッダー・フッター・画像の中まで消す:PDF は下の文字ごと消す(焼き込み)。黒い四角を重ねただけにしない
- 消えたことを確かめる:文字のコピー・検索・文書のプロパティを試す。剥がしテストも使える
Fuseji は、書き出した直後に、消した語が残っていないかを自動で確かめ、結果を検証レポートとして PDF・CSV で残せます(個人版以上)。原本のファイルは上書きせず、処理はすべて Mac の中で行います。医療機関・研究者向けの説明は 医療機関・研究者の方へ に、価格は 価格 にあります。無料版でも検出・確認・書き出し・剥がしテストが使えます(書き出したファイルには透かしが入ります)。ダウンロード から試せます。
このページは、参考に挙げた個人情報保護委員会・厚生労働省などの資料の要点を整理したものです。症例を提供してよいか、どの項目を消すかは、研究計画・倫理審査委員会・施設の担当部署の判断によります。個別の判断は、個人情報保護委員会のガイドラインや専門家に確認してください。
参考
- 個人情報保護委員会 Q&A 7-24(令和 3 年 6 月追加・令和 4 年 5 月更新):https://www.ppc.go.jp/all_faq_index/faq1-q7-24/
- 個人情報保護委員会 Q&A 7-25(令和 3 年 6 月追加・令和 4 年 5 月更新):https://www.ppc.go.jp/all_faq_index/faq1-q7-25/
- 個人情報の保護に関する法律 第 27 条(e-Gov 法令検索):https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000057
- 「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針 ガイダンス」(令和 6 年 4 月 1 日一部改訂・厚生労働省のサイト):https://www.mhlw.go.jp/content/001237478.pdf
- 個人情報保護委員会・厚生労働省「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」(令和 8 年 4 月一部改正):https://www.ppc.go.jp/files/pdf/260401_iryoukaigo_guidance.pdf
- 個人情報保護委員会「令和8年 改正個人情報保護法」:https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/r8kaiseihogohou/
- 個人情報保護委員会「個人情報保護法等の一部を改正する法律について」(概要の資料):https://www.ppc.go.jp/files/pdf/260717_kaiseihounitsuite.pdf
- 「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」の一部改正について(通知・令和 8 年 8 月 27 日):https://www.mhlw.go.jp/content/001743404.pdf
- 厚生労働省「研究に関する指針について」(指針とガイダンスの一覧):https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/kenkyujigyou/i-kenkyu/index.html